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ハヤシ田さん
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都内某所在住の一応プロ志望のポンチ絵描き、時々 駄文書きの自称ヌルヲタの雌。
昨今の俺的癒し方法は、主にニコ動で懐かしアニメを観る&そこに投稿された素直でポジティブな感想コメントを読む事。 バーコード
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管理人が好き勝手にハシャいでみたり吼えてみたり嘆いてみたりするような生半可ブログ。
2024.05.01 Wed 09:09:43
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この記事、分析した作家がオカルト作家って部分以外どこもオカルト的見地でも何でもない訳だがwwwww
>NMR ポニョ都市伝説、ポニョには宮崎駿のマル秘メッセージが含まれている!?
ってか、いつの間に「NMR」(=ナイガイ ミステリー調査班)なんてのが出来上がってたンだか;(ナ、ナンダッテーーー 巷では割と評価が二極化している感も伺える『ポニョ』の世界観は本編中での説明不足が故、このように様々な方面に推測を喚起させる世界観的「余裕」が多分にあるという点で、ある意味 その影響力は従来の宮崎作品の中でも遥かに群を抜いているように思う。 ちょうど良さげな機会と見たので、ここで一丁 常々抱いてた俺的『ポニョ』考を、何とか必死でまとめてみたよ^^^^^^でも論文とか元々 苦手なもんで、例によって只のチラ裏駄文なんだけども(しかも中途半端な)。
ザッと通してではあるが、常々 私が大部分の宮崎アニメに対して抱いていた共通の印象というのが「異形と少女との意思疎通シーン」がある、という点だった。 『ナウシカ』なら王蟲とナウシカ、『ラピュタ』ならロボット兵とシータ、『トトロ』ならトトロとサツキ&メイ、『紅の豚』ならポルコ・ロッソとマダム・ジーナ、『千と千尋』ならカオナシと千尋(或いはハクと千尋)、『ハウル』なら*ハウルとソフィー(※ハウルは一見こそ美青年だが、その中身は化け鴉にもなれるような呪われた魔法使い=非人間である)…というように。 いずれも構図としては、「異形=男性(男性的)」×「少女」である。 異形の者らは通常、世間から恐れられ忌み嫌われ最悪の場合 迫害すらされるが(<例/カオナシ)、得てして何かしらの「特殊な能力」を備えている事で己の面子を保てている、とも取れる。
一方 各作品のメインヒロインでもある相手の少女達は、一般的にも良く言われているように、宮崎作品に於ける女性キャラの共通パターンとして「純粋」であり、大いに「母性的」でもある。 私は彼らこそ、「宮崎監督自身」の姿ではないのかと思っているのだ。
つまりその「異形さ」とは宮崎監督が持つ生来のコンプレックスだとか鬱積だとかそういった何かドロドロモヤモヤしたものの具現化であり、彼らが持つ特殊能力とは即ち 宮崎監督の「才能」の象徴ではないのか。 その力こそは、彼ら「異形」の唯一のプライドであり強力な武器でもある。
更に、こじつけと言ってしまえば確かにそれまでだが、興味深いのは、各作品の公開された時代が下るごとに、その宮崎監督と思しき「異形」たちの姿が徐々に真っ当な「人間」に近づいていっている事だ。 つまり、これは宮崎監督の精神的な「成長過程」とも取れる。
己の作品内で自ら創造した(母性の象徴である)少女達に受け容れられる事によって、彼の内的な部分が徐々に癒され、その後 描く作品の中での「異形」たちも「人間的=精神的成熟(完成形)」に変容していってるのではないのだろうか。
そして、なんか色々 かッ飛ばしてるような気もしつつ、いよいよ『ポニョ』の段である。
上記の流れからゆくと、「異形+少女」という構図から、宮崎監督は遂に「人間になる事」はおろか「母性」までをも己の中に取り込んでしまったのだろうか?とも考えられるのだが、この『ポニョ』という作品は、例えばこの前田有一氏による批評記事(>http://movie.maeda-y.com/movie/01143.htm)でも「老人ホームの人々など、死をイメージさせる要素があまりに多すぎて」「この作品こそがパラノイア的で気味が悪い」等と評されているように、確かに部分的に少々 気味の悪く思える描写も無くはなかった。 で。
俗に「年を取ると、子供に還る」などと言われる。 『ポニョ』に出て来る老女達は、当初は車椅子生活を送り平和だが退屈そうな日々を送っているようだったが、ポニョなる異形の「暗黒の破壊神」又は「破壊大帝」(笑)が地上に舞い降りた(いや、上がった?www)事がキッカケで、彼女等は元気に走れるようにまでなる。 その答えは、もし次回作がまた宮崎監督自身の手で作られるとしたら、その時に明らかになるような気がしている。
…とか何とかgdgd言ってはみたものの、何だかんだ言って実は「まーでも、ほんとーは なーんも頭使わないで そのま〜んまを見てる方が全〜然 楽しめるやね〜♪」というのがホントの本音だったり し ・ て ☆ ( 自 爆 ) PR Comments
・・・深すぎる。
やっぱり映画ってどこかしら 自己投影されてしまうのでしょうか? >立川けいヱもんさん
>自己投影 ソ レ ダ ! その「投影」という単語が出て来なかった私はアホです(笑;) 自分も曲がりなりにもモノを描いて来たので実感として解るのですが、創作物に自分が持つ「何か」が全く投影されてない、という事は殆ど無いと思ってますです。 私は一時期 ユング思想にかぶれ気味だった事があるせいか、ちょっと本文の内容の解釈はユング的になっちゃってますかね(^ ^;) こんにちは、大変ご無沙汰しております(^-^)
お元気そうで何よりです! 久しぶりにハヤシ田さんの文や絵を拝見する機会ができましたので、嬉しさのあまり不躾ですがコメントさせていただきました。 >創作物に自分が持つ「何か」が・・・ 私も本当にそうだと思います。 そして、作り出すモノに自分が投影されているなら、それを観る人の観方にも自分が投影されているってことなのかしらん・・・? (だとしたら、私、少々丸くなってきたのかも) ところで、今回の感想は目からウロコでした! 私には宮崎作品の登場人物達はどうも清廉潔白すぎてそこばかりに気がとられて、苦手意識があったのですが、この感想を読んで「ポニョ」に興味がわいてきました。やはり、映画って色々な視点から見なくてはいけませんね。今まで避けていた作品ももう一度見直してみても楽しいかなーと思っています。 それではまた次回、素敵なお話を聞けるのを楽しみにしています(^-^)ノ 【妄想192】相互リンクして下さっているブログ様へ
という記事を書きました 是非一読して頂けると嬉しいです
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